伊勢参宮絵巻の意義

 

 

この神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜し国なり。是国に居らむと欲ふ。
(日本書紀)天照大神は伊勢の国をこのように思し召され鎮座されました。

▶伊勢は神宮が鎮座して以来、全国にその名を馳せ、そのお陰で今日まで栄光と繁栄を享受して参りました。参宮者の中には歴史上著名人も多く、朝廷の勅使として世の中の平和を願い、又、あるものは自身の心の支えを求めて参宮しました。千数百年経過した現代においても全国から参宮者が絶えないのは、日本人の心の底に神宮に対する崇敬の念があるからであります。神宮のおひざ元伊勢に住む者として名誉であるとともに誇りであります。私たちはこのことを忘れてはならないと思っています。
伊勢参宮絵巻を再現する意義は、 伊勢が大昔から日本人の精神文化起源の地として、沢山の人々が心の拠り所を求めて訪れた由緒ある地であることに誇りを持って頂くことにあります。

▶伊勢神宮は、自然の恵みに感謝し、自然と共生し、日々の営みがつつがなく行えることに感謝することを神髄としています。戦後日本は目覚ましい発展を遂げ、生活は豊かになり、インターネットの普及により情報化社会となりました。しかし近年少子高齢化の進展や人口減少で社会の構造が大きく変わろうとしています。このような変化の中でも伊勢神宮は自然と共生し自然に感謝する神髄を永年守り通して来ました。自然災害への備えや、日常生活の在り方、平和な社会への願望、感謝の心から生まれるとされる道徳心等、世の中のあらゆるものの源伊勢神宮の神髄は、私たちが忘れかけていることを示唆しているように思います。歴史街道いせは、伊勢神宮の重要性を伊勢参宮絵巻催行を通して全国に示すと共に後世に伝承します。

                                                                

伊勢参宮絵巻順路  メイン会場三重県伊勢市宮川堤公園


 

順路:三重県伊勢市宮川堤公園~三重県道37号線~三重県道22号線~豊受大神宮(外宮)
旧参宮街道を通ります。 約3キロの行程  出発時刻は調整中です。宮川堤公園で斎王の
の模様を再現するほか、写真撮影会等を予定して います。

メイン会場:三重県伊勢市宮川堤公園 アクセス:伊勢自動車道伊勢西インターから10分 三重県道37号線度会橋東詰め JR、近鉄:伊勢市駅下車 バス15分度会橋下車

 

歴史街道いせ」設立趣

私たちは、本会を歴史上著名人たちが伊勢神宮を心の支えとして参宮した有様を伊勢参宮絵巻として、神宮への尊厳と感謝をもって格調高く再現することを通して、伊勢が日本にとって特別な地であることを伝承し伝統化すること及び、歴史上著名人の出身地や由来の地域と文化交流し、その育成に寄与することを目的として設立しました。 

「歴史街道いせ」の理念

第一 伊勢は伊勢神宮が鎮座して以来、日本人の精神文化起源の地として発展し、今日までそのお陰で歴史的な栄光と繁栄を享受してきたことを忘れてはならない。

第ニ 「歴史街道いせ」は、歴史上著名人が参宮した有様を伊勢参宮絵巻として格調高く再現する ことを通して、伊日本人の精神文化起源の地であることを全国に示す。

第三 自然と畏敬をもって接し、自然と共生する伊勢神宮の神髄は、私たちが忘れかけている大切なことを諭している。私たちはこのことを後世に伝承していく必要がある。。

第四 「歴史街道いせ」は、諸団体が伊勢参宮絵巻の催行を糧として 、各分野において持ち前の力を発揮し経済の再生に寄与するための原動力となる。

第五 「歴史街道いせ」は、伊勢参宮絵巻催行をかけ橋 として、県内外の自治体、団体と文化交流しその発展に寄与する。

 

 

                

 主人公は伊勢にゆかりのある人物や、時代のヒーローを選んでいます。

1 倭姫命
垂仁天皇の御代に天照大神の御杖代として、大神の御宮地を求めて諸国を巡り、ついに伊勢の国に鎮座したとの伝承があります。倭姫命は伊勢では倭姫さんとして慕われているので、伊勢参宮絵巻では第一列を努めます。

2  斎王(大来皇女)
大来皇女は斎王制度が出来てから実在が確認できる最初の斎王です。世代わりの時、天皇の未婚の皇女が選ばれ斎王宮に赴き ました。都から斎王宮までは十二単衣ですが、伊勢参宮絵巻では参宮のため白装束とし ています。

3 平清盛
平氏は桓武天皇の孫たちのうち下位の者たちが、平朝臣の性を賜り臣籍に下ったもので、平将門の乱で将門に勝利した貞盛が伊勢に 住み着き定着したと言われています。これが伊勢平氏の始まりのようです。清盛の父忠盛は三重県津市で生まれたと伝わっていますが、清盛の生誕地は分かりません。清盛は1161年に1回、1163年に2回、公卿勅使として参宮し4つの櫃に納めた宝物を奉納しています。伊勢参宮絵巻平清盛列では4人の白装束の従者が2つの櫃をかつぎます。伊勢には清盛堤の伝説がありゆかりの人物です。

4 源義経
源義朝の九男。幼名は牛若丸。壇之浦の合戦で平家を滅ぼした源氏の総大将です。その功績により朝廷から官位を授ったが、兄頼朝 の承諾を得なかったため追われる身となりました。吉野までは正室の郷御前と静御前を連れ逃げたが、義経は静御前の身を案じ京へ帰るように言います。これが今生の別れとなりました。義経は壇之浦の合戦の翌年1186年に参宮し、黄金の太刀を奉納したと吾妻鑑に記載されています。当然武蔵坊弁慶も供をしていたと考えられます。伊勢参宮絵巻行列では源義経列に武蔵坊弁慶、静御前が登場します。

5 静御前
静御前は京都府京丹後市で生まれ母は磯禅師で白拍子の名手でした。幼い時から母に連れられ宮中などに出入りするようになり自然と教養が身についたと言われています。宮中に出入りするうちに源氏の御曹司源義経と知り合い側室となりました。吉野で義経と別れ追手に捕らえられ京から源頼朝のいる鎌倉に送られた静、頼朝に白拍子の舞を舞うように言われますが、身重であったためことわりますが、北条政子に諭され義経を慕って舞った舞が「鶴岡八幡宮の静の舞」です。伊勢参宮絵巻の源義経列に静御前が登場します。

6 北畠親房
北畠親房は奈良県五條市賀名生に墓がありますが、どこで生まれたかわかりません。戦国時代の公家大名です。一度は出家しましたが、後醍醐天皇の建武の親政により復帰しました。北畠氏は村上天皇の流れをくむ名門で、1567年松阪市大河内で織田信長に滅ぼされるまで、永年にわたり伊勢の国を統治しました。神宮に深く傾倒し著書神皇正統紀を著したことで有名で伊勢とは縁の深い人物です。大河ドラマでは伊勢にいる親房に長男顕家が戦い前に会いに来るシーンがありますが、顕家の最後となります。親房は伊勢に後醍醐天皇を招き再び京に攻め入ることを考えていたとも言われています。そうなれば伊勢は南北朝の動乱に巻き込まれたかも知れません。

7 春日局
春日局の幼名は斎藤ふく。1582年本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の家来斎藤利三の娘です。本能寺の変後反逆者の娘として追われる身となりました。成人後持ち前の才覚で徳川幕府3代将軍の乳母となりました。当時、祖父の徳川家康は秀忠の次男をかわいがり、次期3代将軍は次男となることに危機感を抱いたふくは、1629年伊勢神宮を訪れた帰りの道中、駿府の家康を訪れ、次期3代将軍には家光をと直訴いたしました。その甲斐あってか家光が3代将軍になったと言われています。この時の山田奉行が5代山田奉行中川半左衛門忠勝です。伊勢参宮絵巻では春日局を先導します。